2008年03月23日

今の仕事についているワケ

大学受験を控えていた高校3年の頃、
「お父さんはな、大学に合格するために毎日10時間勉強しとった」という父の話を聞き、
自分も毎日10時間勉強していたことがあった。
いちおう共通一次の願書も出していたし、家から離れたところで下宿生活を
してみたかったので、志望はとりあえず「北海道教育大学」なんて書いたりしていた。

でも、一日10時間の勉強はたった3日しか続かなかったし、高校で授業を受けていても、
黒板の字を写すのではなく、黒板に字を書いている先生の姿をスケッチしたりしていた。

本当は、他になりたい職業があった。
ただ、父が家で商売をしていたもんだから、時には徹夜もしながら毎日働いている姿を
見ていたし、父の働いたお金で参考書を買ってもらったり、進学塾のようなところへ
行かせてもらったりしていたもんだから、それを思うと言い出せなかった。

ある時、どうしても自分の気持ちを抑えられなくなり、
1発か2発なぐられる覚悟で、夜になっても仕事をしている父の前に行き、
「大学に行くの、やめようと思てんねん」と言った。

「ほう、ほんで、どないするんや」と聞かれたので、

「・・・・漫画家になりたいねん」と、思い切って言ってみた。

なぐられるかと覚悟して、歯を食いしばる準備もしていたのに、父は、
「そうか・・・それもええやろ」とひと言だけ言った。

翌日だったか、「おまえ、どんな絵ぇ描くんや」と言うから、
普段から描いていたマンガやスケッチを見せた。
「漫画家のアシスタントとかになれたら東京に行くかもしれへん」と言うと、
父は寂しそうな顔でその絵を見ていた。

しかしそれからが大変だった。
おばあちゃんから親戚のおばちゃんまでが出てきて、猛反対の嵐が巻き起こり、
「マコちゃんアンタ何をアホみたいなこと言うてんのん」
「ちゃんと勉強して大学に入らなアカンやないの」
「アンタ長男やねんで。わかってんのん?」
と、四方から取り囲まれるようにしてさんざん説教された。

ところが、その前に立ちはだかったのが父だった。

「何を言うとるんや。コイツがやりたい言うてるんやからやったらエエんや。
コイツらまだ若いんやから失敗してもやり直しがきくんや。
メシ食う時間も忘れて熱中できることがあったら、やったらエエんや!」

子供にとって、父親が味方をしてくれることほど心強いものはなかった。
それからは、大学受験の勉強の代わりに、絵を描く勉強が始まった。
自分は日本一の父親に育てられているという実感があった。

父が、「漫画家なんて、なりとうてなれるもんやないから、手に職つけることは
考えとけ」と言うので、当時1校だけ、アニメーション科のあるデザインの専門学校が
あったので、そこの願書を取り寄せて入学した。
そこで勉強すれば、マンガの勉強にもなるし、手に職もつくし。

入学して通い始めると、アニメーション科といっても、
週の半分はグラフィック・デザイン科と同じ授業だった。
そして、人間先のことはわからないもので、グラフィックの授業の中で
色彩論や視覚伝達論、デザイン概論、イラストレーション、レタリング、
デッサンなどなど、今まで知らなかったことを学んでいるうちに、そっちの方が
面白くなり、ついにはデザイン事務所に就職し、今にいたってしまっている。

漫画家とは別の道に進んだわけだけど、父がいなかったら、
あのまま1浪か2浪をして大学に入って、今はどんな仕事をしていたかわからない。
人生の分岐点に父が立っていたからこそ、今の自分があるのも事実。
仕事はあいかわらずヤバイくらい忙しいけど、
それを思うと、感謝して乗り切らなくてはいけないなと思う。
「今の自分があるのは親のおかげ」などという、ありきたりの表現には今までピンと
こなかった。

でも、6年前に母を亡くし、今回父を亡くして初めて、
自分は母と父の子孫なんだということを実感した。
posted by まこと at 23:39| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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